<2022年10月15日更新>
八王子には創業200年を超える藍屋(藍染屋)がある事をご存じだろうか。
その名は「野口染物店」。
天保11年、第十一代将軍徳川家斉の時代から「藍屋」として藍染を行い、現在は東京日本橋「竺仙」の製品制作を行なっている。
「竺仙」の染物の中でも最高峰に位置付けられる伝統染色技法「長板中型」による作品のほとんどはこの「野口染物店」が手掛けたもので、同店は着物愛好家の間では知られた存在でもある。
我々荒井呉服店でも野口染物店の「長板中型」は"ゆかた"・"夏きもの"の定番品として取り扱っており、型紙から染め付けられるその精巧な柄に魅了されるお客様も多い。
柄の素晴らしさもさる事ながら、我々日本人にとって「藍」は特別に惹きつけられる魅力を帯びており、また夏に着る藍染は格別の存在感を感じる。
夏と言えば花火大会に夏祭り、そして我々にとっては何と言っても「浴衣」であるが、コロナウィルス感染拡大によって、この数年は様々なお祭りや催しが中止となり、八王子でも夏の風物詩である「八王子まつり」がない寂しい夏が続いている。
ここで少し寂しい話になるが、ここ数年の夏の浴衣需要減により、我々の知る限りでもいくつかの染め屋さんが廃業に追い込まれている。こうしたコロナ禍の影響は我々和装業界のみならず様々な業種に及んでいる。
未曾有のパンデミックの中、我々だけではない、仕方がない事だと思いながら、「何か出来る事はないか」と考える日々が続いた。
そこでふと頭に思い浮かんだのが「八王子芸妓衆」が野口染物店の長板中型を揃いで着ている涼しげな姿である。「八王子まつり」で八王子芸妓衆が長板中型を揃いで着ていたらさぞ壮観だろう、と。
実はこの着想の元となっているのは、八王子芸妓衆を率いる「ゆき乃恵」のめぐみさんが芸妓として駆け出しの頃に野口染物店の長板中型を着て撮影した写真である。
思い付いたが吉日。早々に野口染物店と八王子芸妓衆に相談し、竺仙の協力の元、揃いの長板中型を制作する事になった。
2022年夏の終わりの頃である。
そして2022年10月末。
野口染物店に八王子芸妓衆と竺仙の商品部、そして我々荒井呉服店が集まり、まずは柄選び。
野口染物店と竺仙が所蔵する膨大な枚数の型紙から柄を選定するのだが、なかなか話がまとまらない。柄が多く選びきれないのだ。
型紙は和紙を重ねて柿渋で固めたもので、型紙一枚で染られる反物はおよそ2反分と言われている。芸妓衆に揃いで着てもらうためには少なくとも15反分を染められるストックがある型紙(柄)に限られる為、柄選びは難航した。
通常、揃いの浴衣は一度に5〜6反染める事が可能な「注染」で染めるのが相場である為、「長板中型の揃い」というのは我々荒井呉服店にとっても、竺仙・野口染物店にとっても非常に稀な制作注文となる。
着たい柄、着てもらいたい柄、染めたい柄、染めたいけど染められない柄。
様々な話し合いの末、ようやく柄が決定。
ここから染場の制作のスケジュール調整を経て、いよいよ制作工程が始まる。
制作工程は芸妓衆たっての希望もあり、その都度見学頂くことになっている。
我々荒井呉服店が常に考えている「品物への愛着」もこうした工程を見て頂く事で、作り手を知る事で一層に抱いて頂ける事だろう。
江戸時代後期、化政文化が最盛期の頃に創業した「野口染物店」。
明治時代、桑都八王子の染織産業の発展と共に栄えた花街を源流とする「八王子芸妓」。
そして今年創業111年を迎えた我々「荒井呉服店」。
同じ街で和装や伝統文化に携わるもの同士、ふとした思いつきとちょっとした遊び心で、2023年の夏が楽しさで彩られる様に、今から少しづつ準備を始めている。
photo&text Ryusuke Ishige